修道院と村上春樹とコーヒー。
そういえば、宮古島に行ったのは2年前でした。
乗ってますよ、自転車。インドアで。
めんどくさがりなので、前輪はずっとパンクしたままですが、モニタの中のわたしはディープリムホイール履いて、時速60kmでダウンヒルしています。
忙しくしていて、左脳と筋肉ばかり使っている日々が続いて、なんだかゆっくりしたいな、と思う時には、一人のひとに焦点を当てたドキュメンタリー的な映画か、小説なのです。
そんな時に読みたくなるのは、村上春樹さんの紀行文です。
村上春樹さんの長編小説はあまり得意ではないのだけど、なぜか紀行文は好きなのです。(ギリギリ短編も)
学生の頃、なぜか真冬のイタリアの村の修道院に数週間滞在していたことがあるのです。
その村は高地にあって寒くて、村に一軒しかないカフェなのかバールなのかわからないお店(イタリアなのでたぶんバールだったのでしょう)に行くのが唯一の楽しみでした。
寒い夜、修道院でストーブに当たりながら何人かと話していたとき、一人が「そうだ」と言って何やら自分の荷物から本を持ってきました。
その人の国の言葉に翻訳されていた日本の作家の本をパラパラとめくり、「君の国のひとたちは、みなこういう青春を送っているのか?」と問うたのが「ノルウェイの森」でした。
そのとき私は、むらかみはるきという有名な作家さんの存在を知ったことになります。
当時の私は「その作家さんは知らないし、本も読んだことない」という回答しかできませんでした。
帰国後に1, 2冊の長編を手にしたものの、なんだかしっくりこなくて、ノルウェイの森はいまだに読んだことありません。
好きでも嫌いでもなく、ただ、しっくりこなかったのです。
しっくりこないものは、しっくりこないので、仕方ない。
その後ときが経ち、たまたま本屋で手にしたウイスキーの産地を巡る紀行文が良くて(しっくりきて)、
著者を見たらむらかみはるきさんで、びっくりした、というのが二度目の出会いです。
村上さんが書く紀行文はあらかた読みきってしまいました。
書き物の評論ができるような知識はないけれど、
もののとらえかたが、なんだか醒めていて、その醒めている冷静さが好き。
さて、そういえば、むらかみはるきさんの話ではないのでした。
村上さんの紀行文を読みたいような気分になった私が、Coffeeに焦点を当てたドキュメンタリーを、ふらふらと見た、という話です。
コーヒーを取り巻く経済、specialtyコーヒーの誕生、バリスタのコンペティション、といったストーリーあり。
日本のコーヒーショップ(というのでしょうか)も2軒登場しています。
表参道の老舗コーヒーのマスターが、何十年もかけて何十万回と繰り返してきたであろう手つきで、布製の器具に入ったコーヒー豆の上に、ゆっくりと、お湯を注いでいくシーン。
マスターの手の中で、布製の器具が、まるで自分の意思で動いている起き上がりこぼしのように、前後に傾いていく。
なんだか神秘的な印象に仕上げられているそのシーンは、きっと演出効果が効いている。
この意味ありげな手順が、コーヒーの味に影響しているのかは、映像からは、わからない。
でも、そのコーヒーが、その手順なしには完成しないことだけは、なんだかわかる気がするのである。
自分もどこかで、そういうものを求めているのかもしれません。